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バブルを知らない。


俺は社会人として好景気だった時代を知らない。

1992年3月に高校を卒業して大学へ、その頃をピークにバブルが崩壊したからだ。

バブルが崩壊していく様子を俺は4年間、某人気牛丼屋でバイトをしながら眺めていた。
バブル崩壊後の飲食産業への影響は比較的緩やかだったと記憶している。
フランチャイズ店だったその店は、バブル崩壊の2年後あたりから売り上げが徐々に下がり始め、それまで毎日ゴルフ、パチンコ三昧だった店のオーナーも焦りだし、試行錯誤をするも、2人いた社員の内1人は金庫から売り上げを奪ってフィリピンに逃走。もう1人は店長をしていたが、毎日3万円以上を売り上げから抜き取っているのがバレてクビになったりと散々だった。
その後も売り上げは下がる一方、マックの65円(80円だっけ?)バーガーを皮切りに、牛丼も1杯400円の牛丼が280円へ、いわゆる価格破壊の時代に入っていった。

大学卒業後、地元の信用組合に就職して、そこで厳しい不景気の現状を知った。

入社1年目で俺は融資(助手)を担当した。
信用組合の融資先のほとんどは零細企業だった。(法律で取引できる企業規模が定められている)
当時の融資先は何億もの負債を抱えている企業がザラで、融資は書換え書換えの連続で融資金額が減ることはなかった。
零細企業にとって信用組合は最後の砦だった。
ここで融資を断られたら次は消費者金融に手を出すしかない。(すでに手を出してしまった経営者もいたけど。)
我々は取引先を倒産させないよう、できる限りの手助けをした。
それでも担当だった1年間で2社が目の前で倒産、1社が夜逃げをした。

倒産したある会社は元々優良取引先で、それまで某自動車メーカーの部品を作っていた。しかしメーカー側が突如その部品そのものの生産の打切りを決定し、仕事が突然ゼロになってしまった。お手上げだった。

期限ギリギリ、これ以上は待てないという時間にも入金が間に合わず、取引停止(実質倒産)が確定した瞬間の取引先社長の表情は今でも忘れない。

またこの頃(1996年)から金融ビッグバンが施行され、我々末端金融機関の存続も厳しい時代に入っていた。

翌年からは総合企画部という部署で3年間システムエンジニアとして働いて退職、現在の建設業界へ。

当然、好景気で華やかだった頃の建設業界も知らない。
俺がこの業界に入って10年、知ってる同業者だけで十数社が倒産、3社が廃業、3社が事業縮小した。
さらにここへ来て、先行きの不安は隠せない。
自信を失くしている経営者も何人か見受けられる。

今までも不景気だったが、これから数年がどん底だと思う。
会社の規模は関係なく、技術力があっても経営が下手な会社は投打されていく。
言い方を変えれば、これを期に新しい図式に塗り替えられていく。


俺は不景気という時代しか知らない。

だから割と冷静に今の時代を受止めているつもりだ。

でなきゃ、あと30年?40年??生きて行けないだろ。


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