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叔父の十三回忌


43歳という若さで亡くなった叔父の十三回忌の法要を行った。



叔父は先代の長男で生前は専務を務め、会社の後継ぎを期待されていた人。


技術力にも優れ、公共工事での優良工事主任技術者表彰を幾度も受賞。


冷静沈着、人間的にも周囲から愛されたまさにパーフェクトな人だった。



そんな叔父の死から12年。



今でも当時の出来事は忘れない。


原因は肺がんだった。


がんを摘出するため、手術で侵された左肺を丸ごと切除したにも関わらず転移。


叔父の体は日を追う毎に病魔に蝕まれていった。



同時に俺は今とは畑違いの金融機関に勤めていたが、次第に今の会社へ入ろうという想いが強くなっていったのを覚えている。


それはやはり叔父の状態が気になっていたからだった。


もちろん叔父が助からないなんてことは考えたくはなかったが、回復するにしても仕事に復帰するには相当な時間がかかるし、復帰したとしても今まで通りの仕事量をこなす事はできないんじゃないかと勝手に考え込んでいた。


だからと言って俺が叔父の代役ができるなんてことは思ってもいなかったけど、日々焦る自分がいたことは確かだった。




ある日、叔父と二人きりの病室で俺は想いを打ち明けた。



「おれ、おじちゃんの会社入ろうかな。」



叔父は一言こう返した。



「まあ、頑張れや。」



俺は、この言葉を一生忘れないだろう。



「まあ、頑張れや。」






その後さらに病状は悪化し、叔父の体は衰弱していった。



病室の外では奥さんである叔母が俺に冗談交じりでこうこぼした。



「私なんでこんなにツイてないんだろう。」



新潟から慣れない群馬に嫁いで来て、二人の間に授かったのは生まれつき脳に障害を持つ息子。


更に旦那は末期がんに侵されている。


叔母は絶対に思ってはいけないことだと分かってはいても、極度の疲労と絶望感から思わず出てしまった一言だったんだと思う。





その後も身内全員で叔父の看病に当たったが、ちょっとした風邪から肺炎を併発、そして約1ヶ月の危篤状態の後、平成10年7月20日、叔父は帰らぬ人となってしまった。



トイレの中では叔父の息子が一人で、生まれた時からの脳障害によって言葉も話せず、感情もうまく表現できない叔父のたった一人の息子がひっそりと泣いていた。



俺はやるせなくて悔しくてしょうがなかった。



あれから12年が経った今でも、俺はこれほど悲しいと感じた出来事はないし、悔しいと思ったこともない。



ガキの頃からよく遊んでもらい、格好良く、仕事もでき、いつも優しかった叔父。


思ってもしょうがないことだけど、叔父が生きていてくれたらと今でも思う。




その後、平成11年2月、俺は今の会社に入社。


現在、その叔父の部屋、叔父の机で業務に当たっている。



ここで俺は叔父に成り代わろうだなんて思ってもいないけど、ただ、叔父の無念さは俺がしっかりと引き継いで確かなモノを残したいと思っている。



叔父の死は絶対に無駄にはしない。


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