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大阪一人旅’95 第三章


群馬~大阪間、地図無し&下道の旅。

大阪一人旅’95 第一章
大阪一人旅’95 第二章


まさか4月直前に近畿地方にも雪が降るなんて思ってもいなかった。。。
(その時俺がいたのは、たぶん天理の峠。)

真っ白に積もった、というより半分アイスバーン状態の峠道をなんとか下ることに成功。

一路大阪は祖母がいる東大阪市を目指す。

その後は順調に進み、東大阪には朝8時前には着いてしまった。

そのまま祖母の家に向かっても良かったんだけど、その前に行ってみたい所があったので、東大阪はそのまま通過して更に西を目指した。

その行きたい所とは、、、


1995年という年は、3月に地下鉄サリン事件が世界中を震撼させたが、その事件より前の1月17日、もっと悲しい出来事があった。


阪神淡路大震災


震災2ヶ月後の神戸を自分の目で確かめたかった。


地図がないので神戸方面という標識を頼りに淀川を渡り、豊中、伊丹を通って宝塚まで行くことができた。

しかし震災後2ヶ月が経ったとはいえ、それ以上先へは一般車の通行が規制されていて進むことが出来なかった。

普通に通行が許されていた宝塚市であっても、見渡せば壁が崩れ落ちた建物が目に付く。

神戸に比べて被害が小さかったとはいえ、街並が崩れている光景を目の当たりにした時のあの衝撃は今でも忘れない。


その後俺は東大阪へ戻り、祖母の家の戸を叩いた。

祖母との数年ぶりの再会に喜びはするも、話はやはり1月の大震災のことだった。

祖母の家は、俺の親父が小学生の頃から住んでいる木造2階建ての古い長屋。

大阪は被害が少ないと言われていたが、祖母の家は既に応急的な補修はされていたものの、部屋のあちこちに傾いた形跡が残っていた。

祖母は震災当時を振り返って、「心臓が止まるかと思った。」と話した。


話が落ち着いて、祖母が俺に尋ねた。

祖母:「ところであんた、ここまで何で来たん?」

俺:「う~ん、車。」
(祖母が心配するから、俺が車で行くとは話していなかった。)

祖母:「なんでやねん!新幹線で来たらええがなぁ!」


数日後、俺もさすがに帰りは高速道路で群馬まで帰った。


そして帰宅後に大阪の祖母から電話で言われたこと、、、


祖母:「事故起さんか心配で心臓止まるところやったわ。。。」




その後も数年度に祖母の家を訪れているが、小さくはあるけれど家の補修跡を見る度に震災の恐さを再認識させられている。


ちなみにその祖母の家も、去年暮れに祖母が倒れたのをきっかけに離れることとなった。

3人の息子を育て上げた思い出の家。

祖父が亡くなって30年が経つも、自ら一人暮らしを好んで生活してきた愛着の家。

借家だったけど、大家さんの計らいで家賃も昔からほとんど上がっていなかったという。

東大阪の今となってはマンションが建ち並ぶ一角にひっそりと建ち誇る昔ながらの長屋が俺は結構好きだった。


次はゴールデンウィークまでには大阪に行きたいとは思っているけれど、あの家に帰れないのが寂しいかぎりだ。


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